島津家

鹿児島の歴史を築いた、薩摩の名門「島津家」
鹿児島の地を語るとき、必ずその中心に現れるのが**島津家(しまづけ)**です。
鎌倉時代に始まり、明治維新に至るまでおよそ700年もの間、薩摩(現在の鹿児島県)を統治し続けた島津家は、日本史の中でも極めて長い歴史を持つ大名家として知られています。
その歴史の中には、戦国の英傑たちの活躍、独自の藩政による経済発展、そして幕末の近代化推進といった数々のドラマが刻まれています。鹿児島を訪れるなら、島津家の足跡をたどることが、旅をより深く豊かにしてくれるでしょう。
戦国の猛将 ― 島津四兄弟の活躍
戦国時代、島津家は九州南部を制圧する大勢力へと成長します。その原動力となったのが、**島津義久・義弘・歳久・家久の「島津四兄弟」**です。
特に次男の島津義弘は、鬼島津の異名をとる猛将として知られ、豊臣秀吉の朝鮮出兵にも参加。その戦いぶりは敵味方を問わず評価され、後に徳川家康も一目置く存在となりました。
島津家は九州統一を目前にして秀吉に臣従しますが、徳川の時代にもその武威と独立性を維持し続けました。
江戸時代 ― 他藩とは一線を画す“薩摩藩”
江戸時代の薩摩藩は、表向きは徳川幕府に従いながらも、強い独立性と外交力を持ち続けた特殊な藩でした。
海外交易や琉球王国との二重支配、奄美群島の黒糖専売などにより莫大な財政基盤を築き、武士の教育や実務能力を重視した政策で、藩全体の力を高めました。
また、士族(武士階級)の気風の強さも特徴で、「薩摩の男は武士道を貫くべし」とする家風は、明治期以降の鹿児島人気質にも深く根付いています。
幕末の改革者 ― 島津斉彬と西郷隆盛の師弟関係
幕末になると、**島津斉彬(なりあきら)**という卓越した藩主が登場します。
西洋の技術をいち早く導入し、反射炉や蒸気船の建造、ガラス製造、紡績といった近代産業の基盤を築いたことで知られ、薩摩藩を“日本の近代化の先駆け”と称されるほどのレベルへと押し上げました。
その斉彬が見出したのが、後に明治維新の立役者となる**西郷隆盛(さいごう たかもり)**です。西郷は斉彬の改革精神を継承し、倒幕運動に尽力。島津家の政治力と武士の力を結集して、新時代の扉を開きました。
今に残る島津家の文化と精神
現在の鹿児島市には、島津家の歴史を今に伝える施設が数多く残っています。
代表的なのが、島津家の別邸である仙巌園(せんがんえん)。桜島を望む美しい日本庭園と、明治維新前後の貴重な建築が今も当時のまま保存されています。
併設の尚古集成館では、島津家が手がけた近代工業や生活文化の展示を見ることができ、薩摩の進取の精神を学べる貴重なスポットです。
また、鶴丸城跡(鹿児島城)や照国神社など、歴史の舞台を実際に歩くことで、薩摩の気質や島津家の影響の深さを実感できるでしょう。
鹿児島観光で歴史を「体感」する
鹿児島を訪れる多くの観光客が、「自然とグルメ」だけでなく、「歴史と人」に魅了されるのは、この島津家の存在があってこそです。
厳しい中にも温かさを持ち、芯の強い“薩摩隼人”の文化。その精神は今なお、街並みに、人々の言葉遣いに、そして誇りある観光資源の中に生きています。
歴史好きな方はもちろん、初めて鹿児島を訪れる方にも、島津家の物語は心に残る旅のアクセントになるはずです。
基本情報
- 住所
- 〒892-0853 鹿児島県鹿児島市城山町7-2
- 電話番号
- 099-227-1962(鹿児島市教育委員会文化財課)
- 営業時間
- 休日
- 無休
- 料金
- 交通アクセス
- ・カゴシマシティビュー「薩摩義士碑前」下車
・市電「市役所前」から徒歩約10分 - 駐車場
- 有